pimapy’s diary

2020年生まれ、CHARGE症候群のぴまちゃんと過ごす日常。重度難聴のため補聴器の練習中。

手術第一回目~胃ろうのチューブをつけました~

前回は食道閉鎖という病気についての話でした。

 

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病院からの一報をうけ、すぐに病院に直行。妻の実家にいたのが幸いし、テレワーク中なのにもかかわらず、お義父さんも同行してくれることに。運転までしてくれました。一人だったら、事故っていたかもしれない。本当に感謝✨

 

病院について、担当の新生児科の先生と小児外科医の先生が、状態と手術の方法について話してくれた。めちゃくちゃ難しいが、聞き漏らさないように。

 

概要は、脳の出血がまだ完全に収まったわけではないので、今すぐ食道閉鎖の手術は早すぎる。まずは胃ろうを作ってそこから栄養を補給できるようにしよう、ということです。吸引分娩でたんこぶができた話はこちら。

 

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手術室も今日たまたま空いているということで、夕方に手術をするそうです。スピード感が早すぎる。説明を聞いた後は、万が一のリスクに承諾してくださいといった紙や、輸血や手術の説明の紙にひたすら署名します。5~7枚くらいはあったと思います。とにかく読むのは後回しで、お医者さんが説明してくれたことが全部ここに書いてあるというので、信じて書きました。

 

終わったら関係各所に報告をしなければ。まずは妻に報告します。妻はまだ病院で休んでいます。こんなにたくさんいろいろありましたが、まだ生まれてから24時間です。最初にたんこぶの治療をしていた時点の情報までしか知りません。食道閉鎖で胃ろうの手術を今日します、なんて刺激が強すぎるのではないかと思いましたが、やるしかありません。産院に凸しました。コロナのため、本当は面会不可能でしたが、のっぴきならない事情があることを説明すると、許してくれました。

 

伝えた時の反応は「死んでなくてよかった。」本当にその通りです。全然決まってなかった名前も、この時に決めました。出産を通して感じたことを名前にしました。

 

いよいよ手術開始の時間になり、子供と一瞬だけ対面。遠くからみると小さい、そして、昨日の2、3倍のコードが体についていました。人工呼吸器も外して移動するので、アンビューという蘇生に使うマスクで空気を送られつつ、NICUからできてきました。病院の先生が8人くらい周りを囲んで、ゆっくりゆっくり手術室に運んでいきます。衝撃的な再開になりました。想像を超える、緊急事態なのだと理解しました。これから大変な手術にいくぴまちゃんには、がんばれとエールを送りました。

 

手術は2時間半で終了。出血もほとんどなく、手術は成功したとのことで、一安心でした。手術の待ち時間同席してくれていた妻の実家のお義母さんと妻の実家へ帰り、運転は妻の実家の弟さんがやってくれました。すべての方の支えのおかげで、家にたどり着き、くたくたのまま、適当にご飯を食べ、寝ました。とにかくメンタルが疲れ果て、ほとんど寝てなかったので、心ゆくままに寝ました。