pimapy’s diary

2020年生まれ、CHARGE症候群のぴまちゃんと過ごす日常。重度難聴のため補聴器の練習中。

待ちに待った退院~たくさんの人に見送られて、家に帰りました。

いよいよ、退院前の準備もすべて整い、退院の日を迎えました。前回までのお話はこちらから。

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退院の日は寒い日でした。NICUにいるぴまちゃんにお帽子やきれいなお洋服を着せました。退院前の10時ごろになると、人工呼吸器やサチュレーション測定器やぴまちゃんをセットでベビーカーに乗せます。

 

すると、NICUにいる看護師さんとお医者さんがほとんどみんな集まってきてくれました。その数約10人くらい。お忙しいのにも関わらず、その場でみなさん20分くらい立ち話に付き合ってくださり、入院中の様子や労いの言葉など、思い思いの気持ちを語ってくださいました。こんなに温かい方たちに囲まれて、なんて幸せな子でしょう。そして私たちもこの病院で本当に良かったと思いました。感謝してもしきれません。この人たちの支えがあって、この日を迎えられたということを忘れてはならないと思いました。

 

退院するとき、皆さんお見送りをしてくださり、主治医の先生と研修医の先生は、病院の外の出入り口のところまできてくれました。お迎えは私たちと両方のじーじとばーばです。なぜかお医者さん2名と両親とじーじばーばで、記念撮影にまで応じてくださいました。最後まで本当に嬉しかったです。

 

また、担当の看護師さんは、退院時の手形と足形をとって台紙に張ってくださり、さまざまな入院中の写真を飾った記念品を作ってくださいました。サプライズで退院の日にいただきました。なんで、こんなことをしてくれるのでしょう。入院中にお世話していただいただけで感謝、さらにはコロナ禍で通常より大変な業務の中で、こんなにもぴまちゃんのために尽くしてくださる。ほんとうにすごすぎます。たくさんの応援してくださった方々のためにも、一生懸命育てなければと思いました。

 

ちなみに私たち両親と妻の母以外は、産まれて初めてぴまちゃんに会います。普通だったら会った瞬間にゆっくりお話しするのかもしれませんが、NICUから出てきたばかりの赤ちゃんなので、新しく買ったチャイルドシートに乗せて、まずは妻の実家に帰りました。

 

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たくさんお洋服やおくるみを着せられ、モコモコのぴまちゃん

 

訪問看護士さん、保健所、看護師長と面談~退院後のフォローもしっかりしてくれました~

前回、いよいよ退院後の生活を見据えたお泊り保育をした話をしました。

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1日お泊り体験も終わり、いよいよ退院が近づいてきた時、退院後のぴまちゃんをバックアップする体制について、各担当の方との面談が開かれました。退院後は妻の実家で、おじいちゃんおばあちゃんと私たちだけでぴまちゃんを支えていくと思っていたので、この面談はとてもびっくりしました。

 

中でもこれから頻繁にお世話になるのは、訪問看護師さんです。家に週1回、看護師さんが来てくれるのです。お金はどうなるのかと不安でしたが、子ども医療の一環なので、手出しはなしで大丈夫とのこと。本当に手厚い援助があると、安心できました。

 

別の日には、気管軟化症のため家で使うCPAP(人工呼吸器)や、サチュレーションの値が戻らなかった時に使う酸素ボンベの説明もしていただき、家に帰る準備が万全に整いました。いよいよ次回は退院日について書かせていただきます。

NICUでの1日お泊り体験~出生後2ヶ月にして、初めての3人暮らし~

前回は蘇生講習について話をしました。

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最初はどうなることかと思った入院生活も終わりを迎えようとしています。それと同時に不安もたくさんありました。今までは万全の設備がそろったNICUで、とても素晴らしい医師と看護師の方が24時間体制でモニタリングしてくれていたのに、退院してしまうと充実した設備もない中で、私たち夫婦の負担が大きいと予想できたからです。

 

そんな時、NICUの別室で昼から次の日の朝まで、3人でお泊りができることになりました。3時間ごとに搾乳し、それを哺乳瓶に入れ替えて、ぴまちゃんにあげます。NICUの看護師さんに言えば、以前からストックしている搾乳した母乳を解凍してミルクを作っていただくことも可能です。隣にNICUがあるから安心の環境でした。

 

しかし、お泊り前に言われたことは「できるだけ自分たちだけの力で生活してみる」こと。退院後の生活を想定しながら行うので、当たり前なのですが、すごく不安でした。気管軟化症があるため、夜間、寝ている間は、呼吸が止まって、しょっちゅうサチュレーション(血中酸素濃度)が低下します。濃度が90以下になると「プープープー」と音がなるので、体勢をかえたり、体をたたいたり、体より頭を挙上して、呼吸をさせます。夜間寝ている間に起きて呼吸を整えるのは、本当に大変でした。なにより、まだ要領がつかめないので、少しサチュレーションが落ちると私はパニックになってしまいました。何度も看護師さんを呼ぼうとしましたが、そこはこらえて自分たちで何とか夜を明かしました。

 

はじめて3人で暮らしたので緊張しました。夜に生命の心配をするなんて、本当に大変だったけれど、とても可愛いぴまちゃんと一緒にいれて幸せでした。この体験を経て、家で一緒に過ごす想像ができました。本当に良い体験でした。

 

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まだ抱っこするのもドキドキしている妻。

蘇生講習~気管軟化症と向き合う~

必要な手術も終わり、あとは自宅に戻れるだけの成長を待つのみとなったころ、「蘇生講習」なるものを病院が提案してくださいました。

 

ここでぴまちゃんの持病である「気管軟化症」について説明します。この病気は、「食道閉鎖」の子にはほぼ必発で合併する病気です。ぴまちゃんは生後1日で食道閉鎖と診断され、手術には成功しています。

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普通気管は丸く空気の通り道が形成されるのですが、ぴまちゃんの場合は気管の壁が柔らかく、楕円形をしています。気管は途中で肺に向かって2つに枝分かれしているのですが、その分かれている部分から、両肺に向かって伸びている部分が特に柔らかいらしく、呼吸によってどちらの肺にも空気が送れなくなってしまう可能性があります。深刻な場合は突然dying spell(ダイイングスペル)という、回復困難な無呼吸、チアノーゼ発作が起こります。それを防ぐために、病院ではCPAPという呼吸器をつけて入院をしていました(退院後もつけています、またお話書いていきます)。

 

話を戻します。蘇生講習は、よく教習所で行っている救急救命講習と同じ感じです。乳幼児の模型が用意されており、主治医の先生と研修医の先生と両親で行いました。成人の場合とぴまちゃんの場合で違うところは、乳幼児なので「小さい」ことと、呼吸を助ける機器である「アンビュー」をつかうこと。

 

「アンビュー」はよくドラマなどで、心肺停止になった人が救急車で運ばれる時、口の周りにあてられている手動でポンピングするマスクのことです。蘇生において大事なことは「気道確保」「口と鼻をしっかり覆ってアンビューで人工呼吸」「心臓マッサージは二本指でアンパンマーチのリズム」で、これを救急車が到着するまでずっとやり続けます。ちなみに心臓マッサージは、ろっ骨を折る勢いでやります。控え目で効果がないよりは、しっかり押した方が良いとのこと。

 

幸運なことに、退院後まだ一度も蘇生はしたことがありませんが、気づいたときに復習しています。いつでもできるようにしておくことが大切ですね。

 

 

入院後の手続きについて~何度も区役所に通いました~

入院してから、病院以外にたくさん通った場所、それが区役所でした。NICUに入るとすぐにやらなければならない手続きがたくさんあります。職場にも頻繁に連絡し、事務の方には本当によくしていただきました。

 

まずは、「出生届」の申請ですね。妊娠中引っ越し前に破水し、娘が母体を労ってくれた優しさや、その後、娘の誕生が家族をいろいろな人々と繋いでくれた経験をもとに、名前は決めました。10個くらい候補があり、産まれるまで全然候補を絞れませんでしたが、産まれた後、互いに同じ名前を連想していたことから、決まりました。産まれる前は「これだ」という名前がなく、本当に名前が決まるのか不安でしたが、産まれて顔を見たり、生命力を感じたりすると、すぐにピンとくるのが不思議でした。

 

 

次に「乳幼児医療費助成制度(マル乳)」の申請です。職場に連絡し、自分の「健康保険」に娘を被扶養者として追加した後、健康保険が適用されない残りの2割の自己負担分について助成するものです。我が家は共働きで、妻の方が私より1年間の所得が多かったため手続きが複雑でした。通常「健康保険」と「マル乳」は、1年間の所得が高い方が申請しなければならず、妻の会社にも手続きを協力してもらいながら、申請を完了しました。

 

他には、「未熟児養育医療制度(呼称は様々で各市町村によります)」の申請です。入院中の薬

容器代、食費など、上の健康保険やマル乳が適用されない部分について助成するものです。自治体によって助成する項目や金額などが若干異なるようです。

 

手当については、「児童手当」の申請です。これは申請をした翌月から支給開始になるため、産まれたらすぐに申請するべきです。通常0歳児を扶養する場合は、月1.5万円、所得制限がある場合は5千円になります。余談ですが、今後は所得によって手当の支給減額や停止が検討されているそうです。

 

ここまでの手続きで、「健康保険」以外は国や自治体の制度で、基本的に出生後2週間以内に行わなければなりません。そもそも心の整理ができていない中で、手術などもたくさんあり、ここまでの手続きをするのは心が折れました。

 

ここからはなるはやで行った方がよい手続きです。順番に説明していきます。

 

限度額適用認定証の発行」です。これは職場に申請し、健康保険組合と会社に手続きをしてもらう必要があります。入院費用が高額になってしまった場合、窓口で支払う費用の上限を決める「高額療養費制度」を使うために必要です(結局支払い金額が限度額の上限に達しませんでしたので、使いませんでした)。

 

次に、「小児慢性疾病医療費助成制度」の申請です。小児慢性特定疾患として指定された疾病の治療を受ける方に医療費等の助成を行う制度です。これは主に退院後、持病の外来で診てもらう時の助成のため、少し遅くなってもかまいません。娘は、入院中に「気管軟化症」と診断されたので、それに関する病気を外来で診てもらう時には必ず使っています。そもそも、マル乳ですべてカバーできる場合には必要ないのですが、東京都に住んでいる私が埼玉県の病院に外来で通うという場合に、マル乳が使えないので、こちらを利用しています。人工呼吸器を装用している場合、月上限500円で医療を受けられます。また、私のように都外の外来に行っている場合、支払った500円について、区役所にマル乳の還付請求をすることもできます。

 

まだまだ手続きはあるのですが、入院したすぐあとということで、このくらいで今日は終わりです。障害者ならではの他の補助金については今度お話させていただきます。

NICUの看護師さんとお医者さん~両親のケアをしてくれました~

前回NICUの看護師さんが温かくぴまちゃんのお世話をしてくれたという話を書きました。

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ぴまちゃんはすっかり看護師さんに慣れ、両親がいなくてもぐずることなく(当たり前)、毎日平穏に過ごすことができました。看護師さんだけでなくお医者様もですが、ぴまちゃんのお世話だけに終わらないのが本当にすごいです。実は私たち両親もケアしてくれました。

 

NICUに来る親の中で、我が子のことを全く不安に思わない親はいないと思います。何か病気があったり、未熟児であったり、それぞれの事情があってくる親の気持ちを、看護師さんはよくわかってくれています。病気がたくさんあったり、手術を控えてたりしても、決して不安になるようなことは言わず、「すごく頑張っていたんですよ」とか、「一生懸命ミルクを飲んでいますよ」とか、前向きな言葉を教えてくれました。そして何より皆さん笑顔でした。こんなに素晴らしい看護師さんがいるNICUなら、絶対大丈夫だろうと、私たちはいつも安心していました。

 

また、主治医のお医者様はじめ、小児外科や心臓外科の先生方は病状や手術の説明を細かくしてくださいました。手術は私たちもしたことがありません。医学的な知識は全くありません。ですが、書類や図を使いながら、時間の制限なく、丁寧に説明をしてくださり、今どんな状況なのか、手術当日にはどのような手順で手術を行うのかがよく分かりました。

 

今までお医者様といえば、皮膚科や歯医者、内科などでお世話になってきましたが、診察時間は1,2分程度で、すぐに病状を判断し、診察が終わるというのが普通だと思います。町医者であればそれが当たり前なので、こんなにも間近でお医者様とたくさん話ができたのは良い経験になりました。そして、その話し方や態度から、患者に寄り添う心を感じました。お医者さんは頭が良くて、忙しくて、エリートなだけでなく、人間力も高い方ばかりでした。こんなに安心できる環境なので、この病院で本当に良かったと思いました。

NICUの看護師さん~24時間ぴまちゃんのケアをしてくれました~

NICUは、2カ月間入院していました。状況によっていつまで入院するかわからない状態で、1年くらいなる可能性もあるといわれていました。こんなに短期間で退院できたのは、運がよかったと思います。

 

2カ月間の入院中私と妻は、母乳を届けたり、娘と面会をするのために病院へ通っていました。その他にも、娘が手術をするときや、障害に付随する手当を受給するために必要な「お医者様の意見書」をもらうために行くこともありました。手続きについては、またお話させていただきます。特に入院中何度も足を運んだNICUは、私は必ず週1回、妻は週2、3回は通いました。病院に行って、娘に会える日を楽しみに毎日を生きていました。

 

NICUでは看護師さんが主に日常のお世話をしてくれて、お医者さんは1人か2人(NICUの子の状態にもよりますが)、診察でいらっしゃいました。

 

最初にNICUに入った時は生後0日の時。生まれてすぐに救急搬送された日です。

 

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NICUという言葉も知らなかった私は、入る前に手洗い場を紹介され、30秒かけて手を洗うように説明されました。その時は大体1~2分くらい洗浄したと思います。とにかく、絶対に菌を持ち込んではならないという意気込みでした。入った後も、看護師さんにペコペコ頭を下げ、絶対に助けてほしいという思いを示しました。そんな固い感じでNICUデビューをしたのですが、通っていくと、そこはもっと温かい空間であることが分かりました。

 

担当の看護師さんは決まっていますが、他にもさまざまな看護師さんが看てくれました。みなさんすぐに両親の顔を覚えて下さり、前回来た時から今日までの間に何があったのか教えてくれました。話によると、夜はよく起きて泣いてしまい、抱っこが好きな女の子ということです。かまってちゃんですね。母親の代わりになって、24時間ずっと看てくれた看護師さんには本当に感謝です。

 

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